思わぬ恵み?
                〜 砂漠の王と氷の后より

        *砂幻シュウ様 “蜻蛉”さんでご披露なさっておいでの、
         勘7・アラビアン妄想設定をお借りしました。
 


       



 その通廊は、そもそもは万が一の事態に代々の王のみが用いるためにと、用意された“逃亡用”の抜け道だったようだけれど。こちらのカンベエ様が覇王の座に就いて以降、こういう隠しがあるとは知らぬまま隋臣を務める顔触れも増えたほどに、本来の役目へは本っ当に必要がない代物となりつつあり。とはいえ、どこへ通じているものかを思うと、まんざら要らぬとも言い切れぬ経路。四方へ堂々と宣言しての“お渡り”などという、格式はあるが微妙に興冷めな逢瀬じゃあなくの。例えば微妙に大人げない悪戯まがい、誰の目にも止まらぬような不意打ちという形で、逢いたい夜に逢いに来ただけとぬけぬけ言って振る舞いたくもなる折なぞに、いつも重宝していた抜け道なのだそうであるが。

 『そういえば、最近にもこれを使っての呼び出しがあるにはあったかの。』

 ヘイハチが、まだキュウゾウへはその身分を隠していた頃のこと。かの炯の国へ攻め入り、降伏条件が人質のような扱いでのキュウゾウの輿入れ…という段取りが、実はカンベエの構えた戯れごとで。そうやって何かを激しく憎むことで、気落ちをする暇もなくの緊張を得、その比類稀なる高潔な気位を保っておいでと。キュウゾウへ対する余計なお世話のお節介をした“大芝居”だったらしいと飲み込めて以降、そんなカンベエや、それをやんわりと明かしてくれたシチロージのいるこの地を、自分の居場所と把握した証しのようなもの。周囲への関心を持ったその先へ、どうにも不審な存在があったのを、こうも早く気がつこうとはねと。どうもってゆきましょかとの刷り合わせ、こそりと構えた折にもそういえば、此処を使う格好で伝令を寄越したシチロージではなかったか。砂漠の王宮には一番の贅沢にして奢侈なもの、水の回廊が巡る緑豊かな中庭(パティオ)を経てのその向こうが、妃らが寝起きする内宮なのではあるが、

 「……お?」

 駆け出すほどではないながら、それでも結構な速足で。脱出用としては使わぬながら、粋筋にては重宝しているからという洒落めかしの一端。剥き出しの岩道では詰まらぬということで、大理石を敷いて整えた、微妙に壮麗な通廊を進んでいた一行が、はたと立ち止まったのがそのパティオが見えて来たからで。基本を強いて言うなら坪庭のようなもの。敷地の真ん中、建物で囲むような格好にした空間へ泉水を設け、その周縁に緑を配して目にも涼しく、勿論のこと涼しい風をも渡す役割を持たせた庭園をいうのだが。こちらのパティオは も少し規模が大きいそれで。泉水だけではおさまらず、足元に流水を渡す溝を通し、人造の小川まで設ける贅沢さ。添えられたる緑もそれに沿うての結構な広さ深さに及んでおり、それらの育成のためぽっかりと天井が空いている空間は、さながら青空の下に涌くオアシスをまんま持って来たかのよう…と。本来はそういった印象を目指した、憩いの空間じゃああるのだが。今は折しも、唐突な雨に襲われ、小さな密林は見通しも悪く。だというに、その驟雨がまともに降りしきる中、侍女に傘を差しかけさせてとはいえ、わざわざ表に出て来ていたのは誰あろう、

 「シチロージか? 如何した。」

 雨が珍しいとは知らなんだぞと、ビシュトの裳裾がその速足へ追いついての はさりと収まったそれは落ち着いて納まり返った立ち姿となったカンベエへ、

 「何をそのように暢気なことを。」

 早よう早ようと急かされるままに到着したばかりの身。何が何やら判っていなくともしようがないと、ここまで素早く来てくださった覇王様だということは…に付帯するそれ、気がつかぬ彼女ではないはずだろに。嫋やかな肢体は青みの濃い紫の更紗で仕立てたローヴで覆い、髪を覆って包んだヒジュラの下、薄絹のヴェールを顔にもさげての、そこだけを覗かせた目許を眇め気味にしてという険悪さで夫を見据え、軽く叱咤したそのまま視線を再びパティオへ戻す。外へ空へと大きく開けた一角の、今は驟雨に打たれるままとなっている小さな木立だが、

 「………成程の。」

 シチロージが、そしてやはり固唾を呑むシノが何を言いたいかが、ここに至って判ったらしいカンベエ。やれやれとも苦笑混じりとも釈れそうな、ふうという吐息を短くつくと、それでも口許を笑みの形へほころばせ。

 「後で要るから持っておれ。」

 ヘイハチが追いかけながら着せかけたばかりの、カンドーラの上へと重ねる、褂(うちかけ)のようなものでもあるビシュト。一縷の迷いもなくのてきぱきと、その雄々しき肩から剥いでの平八へ手渡せば。壮年殿のその所作で やっとのこと意が通じたと判ったか、事態がやっと動くことへのいかにもの安堵と、まさかに覇王様をあごでは使えず、直截には言い出せなかったジレンマが晴れたことへの安心へ。思わずなのだろ豊かな胸元へ伏せられたシチロージの白い手から下がった、今日は楚々とした装いなのへと合わせたらしい白金のチャームが。驟雨の一条だけを摘まみ取ったかのように、きらちかと燦めいたのが印象的だった、初夏のとあるひとこまだったのだけれども……。




      ◇◇◇



  「……………で?」

  「………。///////」


 内宮の警護に配されている女傑らの誰よりも、実は実は肝が太いのではなかろかと、秘密裏に囁かれておいでのシチロージやシノが どひゃあと驚き。とにもかくにも男手が要るぞ、この件に関して動かせる男手といえば、畏れ多くもカンベエしかいないぞと。畏れ多いにも程がある結論を、すぱりと呈したシチロージの意を酌み。そちらもそちらで、畏れ多いとか何とか、今の今燃え盛る業火の回りでおろおろしている場合じゃあないというのと同じ事態なのだと断じての、何が優先されるべきかを即妙に見分けて行動に出た、シノさんだったのへ、

 『弾丸のような女御だの。』

 しかも命中率の高いことと。いやまったく、主人に似て大胆不敵、あっぱれな判断と行動力よと、褒めちぎった覇王様だったのは後日の段。一体何が、一応は慎みも御存知の彼女らをこうまで浮足立たせたかの元凶様は、庇の全くない真下に出れば、会話さえままならぬほどの雨脚だった激しい驟雨の中へ、そこが住処だった魚のようにあっと言う間に駆け出してったのだそうで。

 『この季節に咲く大ぶりのお花を、
  摘みに行くのへ、
  ついて来てくださっただけだのに…。』

 一応は覇王様の庭だ、勝手にお花を摘み取るのは不遜かも知れぬが、さりとて、今摘まねば宵には萎れてしまう。自身の宮の侍女の一人が、そんなお花だと語っての残念がっていたのを漏れ聞いた、第三王妃のキュウゾウが、

 『ならば、俺がついてゆけばいい。』

 自惚れるわけじゃあなかったが、覇王から直々に好きにせよと言われた庭に咲く花の話。だったら、妃の自分が所望したと口添えすれば、誰に見とがめを食うこともあるまいと。彼女にしてみればさして策を弄したつもりもなくの単純な理屈から、共に行ってやろうと言い出してくださってのお花摘みだったのだけれども。

 『あの大雨が降り出したその途端に、』

 あまりに劇的、急激な天候の変貌で。大雨が降ることもある土地じゃああるけれど、それはもっと夏が深まって雨季が来てからのお話。凄まじい雷を伴う驟雨は恐ろしい代物なので、女子供はついつい逃げ回るほどのおっかなさ。それと引けを取らないような大雨が突然襲い来たのへ、だって言うのに、

 『………。』

 いくら“烈火の”と冠される姫だとて、落雷はやはり恐ろしいからか、その表情が止まってしまわれた…と思っていたキュウゾウ様が。次の瞬間、その雷に招かれたかのように、庇の下から飛び出し、雨の降りしきる中へと飛び込んでのあっと言う間に、白くけぶる木立の中へその痩躯を溶かしてしまったものだから。どうしたらいいのか判らずうろたえるばかりの侍女殿だったのへ、こちらは…内宮からは出て行く方向への道行き、大事が起きねばいいのだがとついつい気になってこそりと二人を追っていたシノ殿が、見澄ましたこれら。大急ぎで駆け戻っての自身の主人へ一部始終を聞かせ、判断を仰いでの一連のこの流れ。滝に打たれてでもいるかのように、木立の中、より激しい雨に打たれて立ち尽くしていた彼女を見つけ、それを捕まえたその途端、冷えきっていたその身がカンベエの双腕の中へと頽れ落ちたのでもあって。

 『カンベエ様っ。』

 庇の下にて待ち構えていた女性らの元まで駆け戻り、自分よりも彼女をと、ヘイハチに持たせていたビシュトでくるみ込むと大急ぎで内宮へ戻った面々は。初夏の瑞々しくも爽やかな気候に満ちた中で、春先へ戻ったかのように…お湯を沸かさせ、毛織物を引っ張り出させ。幼い子供ではないと手をかけさせるのを嫌がる誰かさんを、そんな場合ではありませぬとシチロージが叱咤しつつ。その痩躯へ張り付いていた更紗を剥ぎ取ると、手際よく湯あみをさせの、ありったけの木綿で身と髪を拭い上げ。毛足の長い毛布を敷き詰めた寝床へ押し込んで、性根の悪い風邪に取り憑かれませぬようにと、ちょっぴり苦い煎じ薬を飲ませてという一通り。その身を抱えるという男手にも恵まれての手際よく、あっと言う間の流れ作業でこなし終えての、さて。

 「雨が…懐かしくて。」

 キュウゾウの生国、炯の国も、夏の雨季には凄まじい驟雨が襲う。水の乏しい国へ唯一降りそそぐ雨ゆえに、日頃は出来ぬ贅沢、全身をびしょ濡れにしてもいいのが嬉しくて。体の線があらわになってもかまうものかと、まだ幼かったこともあり、雨が降れば必ずその中へと飛び出していたのだそうで。こちらへ嫁いでようよう二年目。そういえば、雨を眺めた覚えこそあったが、ああまでの驟雨には近づくこともなくなっての久しくて。

  ざあぁぁああぁぁぁ…………っという

 耳を弄するほどの雨脚と、東洋の墨をすったような つんとした濡れ土の香りと。ひんやりした大気の、心地よくも肌へ張り付くような感触とには覚えがあって。泣きたくなるほどの懐かしい覚えがあって。泥にはならぬ砂の道、侍従や侍女らと水を蹴立てての大はしゃぎで駆け回り。鬼ごっこを飽きるまで遊んでそれから、城へ戻れば両親が、黒髪のお傍衆の青年と共に待っていて。

 「………。」

 寂しいと思ったことなんてなかったの。意に添わない婚姻により、故郷から遠いこの地へやって来ても。意気消沈するどころか、沸々と怒かり続け、それによって前を向いていられた。実はそこもまた、この自分を支えるためにと設けられてたお芝居で。そんな事情とか真相とか、紐解いてくれたお姉様が、でもねあのね、そのまま騙された振りを続けなさいなと優しく微笑ってくれたのへ背中を押され。もう憎む必要もなくなったはずの覇王の前で、それでも可愛げなく振る舞っていたのだけれど。

 「……。」
 「んん?」

 そちら様もびしょ濡れとなった身を湯で暖めて来た壮年が、視野に戻って来たのを真っ先に見やれば。すぐさま気づいてくれての、如何したかと頼もしい笑みで目許をたわめるものだから。胸の奥にて呟いたのが、

  懐かしかった故郷のと同じ雨に打たれていても、
  あの頃ほどの はしゃぎたくなる気持ちは沸き立たなかったの、という。
  子供の駄々のような言い回しの一言で。

 真夏じゃないからかなぁ、それとも故郷ほど南じゃあないからかなぁと。何でどうしてという、歯痒い気持ちに捕まって。口惜しいのか悲しいのか判らないけど、何だか胸の底がつきつきして来て。全身が冷えてしまってのすうと、力が抜けて来たそのまま、足元へ頽れ落ちてしまいかかった身を。難なく受け止めてくれた、匿うようにくるみ込んでくれた、それは暖かで頼もしい懐ろの持ち主を見上げれば。深色の双眸が座った、怒ったようなむっつりしたお顔で見下ろして来、

 『馬鹿者、どうしたかった。』

 訊いておきながら、なのにそれ以上の問答を待つこともなく。久蔵をひょいと抱えたそのまま、その場から去ってしまった強引なカンベエで。でもねあのね、頬を伏せた堅いばかりの胸元も、背中や膝の下へ回されてた頑丈な腕も。乱暴だったのに安心出来て、ああ雨の中よりずっと居心地がいいなぁって、あらためて思ってしまったからには、

 「シマダ…。」
 「なんだ。」

 呼ばれた呼んだと周囲も聞き届けての、さわさわと席を外す皆様の手際もさりげなくも上出来な中。紅色の双眸を焦れったそうにたわませた烈火の姫、

  あのね、どうしたいのかはまだ判らないから。
  それが判るまでは、ずっとずっと此処にいるぞと、


  「ああまで切なげに語っておいでなのが、
   どうして判らないのでしょうか。
   まったくもうもう鈍いお人なんだから。」

  「お言葉ですが、シチロージ様。」
  「此処まで離れてても判る、
   あなた様ほどの読解力をと求められても…。」

 ついつい気になっての覗いてしまうお方々もまた、仄かに心弾む想いにて見守っていたものだからか。いつの間にやらああまで喧しかった嵐がやんで、流れる雲間から元の通りのお天道様がお顔を覗かせんとしているのへも、すぐには気づかぬままであり。地上は地上で様々な思いが錯綜し合っていて、時には天穹の大気の揉み合い以上に厄介な嵐を呼んだりもしておいでですが。今のところのこの地では、暖かいものが芽生えこそすれ、内から波乱が生じる事態はなかなか起きそうにはない模様。灼熱の夏が来て、今度こそはの本格的な雷雨が襲っても、揺るぎはしない皆様だと思われて。

 「しばし、大人しゅう寝ておれよ。」
 「〜〜〜。///////」

 子供扱いするなと言いたげ、口許をむうとひん曲げかかったものの、大きな手が髪を梳いてくれたから まあいっかと。視線を逸らした炯国の姫様の、白い頬を仄かに照らし、やっとの陽が射したのへ、さあどなたが一番に気がつくものか……。






   〜Fine〜  12.06.10.


  *あまりに久し振りすぎるアラビアンでしたので、
   誰よりも本人の復習を兼ね、
   ついつい色んな前振りを書き込み過ぎました、すいません。
   プロットといいますか、
   思いつきを綴ったメモには ほんの数行、
   突然の雨に怯みもせず飛び出すキュウゾウ妃、
   日頃にない珍しい善行をしたのではと揶揄される覇王様
   …くらいしか、書いてなかったんですのにね。(とほほん)


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